砂漠の中のねこ

息継ぎがしたい

髪を洗った日の話

 

数年ぶりに会う友人とのランチに向けて、前夜に髪を洗った。出産してから毎日髪を洗う気力や時間がなくて、ここ最近は3〜4日に一度の頻度でしか洗わなくなっている。服は、何を着て行こうか。ランチの後に散歩をしようという話になっているから動きやすい格好がいいだろうけど、子を乗せたベビーカーを押すだけのいつもの散歩みたいに、ダル着で行くわけにはいかないよな。数年ぶりに会う相手が上下スウェットで来たらちょっとびっくりしちゃうよな。食事をする予定のお店は、前夜に飲み会がある友人の希望で重すぎないメニューが揃った小洒落た空間のようだし、子は夫が見ててくれるし、身軽なお出かけは久しぶりだから、好きな服を着て、好きなバッグを持って行こうかな。夫は子を半日だろうが1日だろうが見ていられるからあまり心配はしてないけど、一応出かける前にミルクはあげておいた方がいいかな。離乳食をあげる時間帯と私が家を出る時間がかぶりそうだから、それは夫に任せよう。できるだけ子が機嫌の良い状態にしておきたいから、余裕をもって対応できるように早めに起きよう。

 

その友人とは各種SNSで繋がっておらず、ここ数年どんな風に生きてきたのか何も知らない。共通の友人もほとんどいないので、あちらは私が出産したことも知らないだろう。

 

およそ10年前に私が東京へ来たい、東京で働きたいと思ったきっかけになったひとりがその友人だった。その東京で無事に今日まで生き抜いて、夫と出会い結婚し、子供を産み、今後もこの地で生活していこうとしている自分を、私は今でも時々信じられない気持ちで俯瞰する。同郷であり私よりもずっと前から東京で生きてきたその子は、そうした私の人生についてなんとコメントするだろうか。最近のその子自身のことも、聞きたいことが山ほどある。

 

そういうことを考えながら眠りについた。

 

当日の朝起きると、その友人からLINEが届いていた。「起きれる自信がないからリスケしたい」という旨の内容だった。受信時刻は午前3時だった。

 

単純に3時に寝て昼前に起きて出掛ける自信がないのか、お酒を飲みすぎてしまったから起きられない可能性があるのか、起きられたとしても体調が悪いかもしれないからなのか、あるいはそのすべてなのかわからないけど、友人の事情と選択は私を打ちのめした。

 

普段の洗髪サイクルを崩してまで髪を洗ったのに、子を見てもらえるよう夫とも予定を調整したのに、着ていく服も考えたのに、たまには夫以外の大人と会話がしたかったのに、何よりとても、会いたかったのに。起きられないという理由で会えなくなるなんて思わなかった。私が事前にこちらの状況をある程度話していたら、友人の選択は変わったのかもしれない。もしかしたら友人には他にも事情があったかもしれない。本当のところはわからないけど、酷く自分を否定されたようで、自分と会う価値が著しく低いと言われたようで、とても惨めで悲しく寂しかった。

 

会えないことを思うと辛いから、今は会うべきではないのだと思うようにした。会わない方が良かったのだ。もしかしたら二度と会うことはないのかもしれないけれど。子供を産んでいなかったら、こんな風にダメージを喰らったりはしなかったかもしれない。ああ、こうやって関わる人間が変わっていくのだな、と思った。明らかに、もう合わないんだ感覚が。そもそも本当に友人だったのかも怪しいくらいに。

ありきたりな女

 

出産の記録

 

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夜中2時頃、さて寝るぞ、というタイミングでタラタラと温かいものがパンツの中を流れる感じがした。妊娠してからずっと、おりものが水っぽくなったから、今回もそれかなって思ったものの、なんかいつもより量が多い気がしてトイレへ行った。パンツかなり濡れてて、もしかして破水か?とも一瞬思ったけど、いつもこんな感じだし変な臭いもしないし出血でもないし、まぁいいかと思ってベッドに戻った。

そしたら数分も経たないうちにまたタラタラと温かいものが流れ出る感触があって、これはやっぱり変だ!と思って夫に「もしかしたら破水したかも」と伝えた。


違う可能性もあるし産院に電話するか迷ったけど、もう一度トイレに行ったらここでもタラタラ流れる感じがあって、さらに、拭いたらうっすいピンク色が混ざっていたから、「これはもう破水だ」とほぼ確信した。


産院に電話して状況を伝えたら、診察するから入院セットを持って今すぐ来て、とのことだったから、急いで準備した。夫が陣痛タクシーを呼んでくれた。

 

3時すぎに産院に到着してすぐ内診してくれて、破水&入院が確定した。

その後、だいたい3時40分頃から子宮あたりがギューっと痛くなり始めた。よく言われるように生理痛に似た痛みで、4分置きくらいに来た。


そこから痛みがだんだん強くなって、少しは眠りたかったけど一睡もできずに朝を迎えた。8時半頃に朝食が来て、すごくお腹が空いていたのと、眠れなかったからせめてちゃんと食べようと思って全部食べた。食べてる途中も陣痛が来ると痛くて、時々中断しながら食べた。


その後は痛みがどんどん強くなるばかり。最初は子宮が痛かっただけの陣痛は腰とかも痛くなるようになって、夫に思い切り押してもらったりした。

内診も何度かしてもらったけど子宮口は1センチ以上開かず…この開きだと麻酔を入れるのも微妙とのことで、もう少し頑張ることにしたものの、昼過ぎには涙が出るくらい痛くて耐えられなくなった。

泣くつもりなんて全くなかったのに、本当に痛いし、一睡もできていない自分のコンディションも踏まえて、この先進みゆくお産を耐えられるのか自信がなくて涙が止まらなかった。


夫も一生懸命に腰を押してくれてとてもありがたかった。陣痛が来ると本当に喋るのも辛くて、うまく指示が出せなかったから、戸惑わせてしまったと思うけど…

「頑張ってるよ、すごいよ!呼吸良い感じだよ!」みたいに前向きな言葉をたくさんくれて、その優しさもすごくありがたかった。

妊娠中に一緒にYouTubeを観たりして本当に良かったと思った。前向きな気持ちでお産に挑む、陣痛はエネルギー、という共通認識を持てていたと思う。私は途中で痛すぎて心が折れてしまったけども…


午後2時半頃、内診で子宮口が2.5センチくらいになり、先生がしぶしぶOKしてくれて麻酔を入れてくれた。入れてもらったあとはかなりラクになって、少しウトウトすることができた。


でも夕方からまた陣痛が痛くなってきて、そこからはどんどん強くなるばかりだった。

何度も麻酔科の先生が薬を足してくれたり、より強い薬に変更してくれたりしたけど、効果は得られず。子宮口も4センチくらいまでは開いたものの、そこから変わらず、陣痛は麻酔を入れる前と同じくらいの痛みになってしまって、子宮もお尻も腰も激痛でまたしても涙が止まらなくなった。何度も泣くのは意志薄弱って感じで嫌だったけど、麻酔を入れているにもかかわらず4センチ時点でこんなに痛いなんて、産道を通るときは一体どのくらいヤバイ痛みなんだろう、これ以上痛いのは絶対に耐えられない、どうしよう、そもそもなんで無痛分娩なのにこんなに痛いの、なぜ麻酔が効かないの、という気持ちになってしまって、どうしたら良いのかわからず、パニックだった。

先生たちは、ゆっくり深呼吸して!と何度も言うし、頭ではわかっているけど、声を出さずにはいられなかった。パニックなりに考えて、吸うときに思い切り声を出して、吐くときはなるべく息だけ、を意識してた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。

 


(余談だけど、陣痛は、先生やスタッフにどこがどんな風に痛いのかをちゃんと伝えることがかなり重要だなと思った。それによって、お産がどのくらい進んでいるのかをみなさんが目処つけたり次の判断をしているのがよくわかった。)

 


あまりにも麻酔の効果が見られないということで、違う方法で違う種類の麻酔を入れてくれることになった。背中に針を入れるところからやり直した。(背中に入れるときも、体をかなり丸めたり、背中を突き出したり、動いちゃダメだったり、結構難しい…あと痛い)

新しい麻酔を入れたら、それまでは左足のふとももしか麻痺してなかったのに、右足も、腰も、下半身全体が麻痺した。

麻酔の先生いわく、出産時に足が全く動かないのは絶対NGだから、産まれるタイミングになったら元に戻す的な感じだった。この新しい麻酔をしている間に体を休めよう、てことだった。


そしたらなんと子の心拍が聞こえなくなった。麻酔科の先生がインカムみたいなので産科の先生を呼んで、そこからどんどんスタッフがきて私をいろんな体勢にした。上半身は動かせても下半身は麻痺して全く動かせず、先生たちが動かしてくれた。四つん這いになるのがとてもとても大変だった。本当に足の感覚がないから、全く安定しない。


先生が、子の状態が良くないから帝王切開にするね、と言って、ストレッチャーで運ばれてオペ室へ行った。正直、2度目に涙が出てきたタイミングで、もう絶対に耐えられないと思うから帝王切開にしてほしい…と少し思っていたから、先生たちはごめんねと言ってくれたけど私的にはもうそれで全然良いですという気持ちだった。

号泣しすぎてパニクってるのは明らかだったと思うけど、意思はちゃんとある、頭は狂ってない、というのをせめて先生たちにわかって欲しくて、先生たちが何か説明したり話しかけたりしてくれるときは、目を見てめちゃくちゃはっきり返事をすることを心がけた。


子のことが心配だった。この10ヶ月弱、いろんな大変な思いをして乗り越えてここまで来て、今日もこんなに辛い陣痛を何時間も耐えてきたのに、結果的に助かりませんでした、てなるなんて嫌だと思った。ここまで妊婦生活を支えてくれた夫はもちろん、心配したり気遣ってくれた友達とか、親とかに、ちゃんと子を見せてあげたいと思った。

と同時に、帝王切開がどのくらい痛いのか怖くて怖くてたまらなかった。度重なる強烈な陣痛で、痛みに怯えまくってしまって、お腹を切るとき痛いのかな?とか、耐えられるのかな?もう痛いの嫌だよ、とか思ってずっと号泣していた。泣き続ける私を見て、まだ陣痛が辛い?と声をかけてくれるスタッフに、帝王切開が怖い、てずっと言っていた。


さすがに帝王切開の麻酔は、胸くらいまで効くような強いものらしく、体に触られている感覚はあるものの痛みは全くなかった。オペ室に入ったら子の心拍も戻っていて、先生が他のスタッフに「心拍戻ってるから落ち着いていきましょう」みたいな声掛けをしていた。

メスを入れた先生は、痛くないですか?とか確認しながらやってくれたし、他のスタッフたちも手を握ってくれて、「赤ちゃんは心拍も戻ってるし大丈夫だからね」「小児科の先生も駆けつけてくれてるから安心してね」と声をかけてくれた。

そういう声かけに少しずつ安堵して、そのたびにその安堵と先生やスタッフたちの優しさにまた涙が出た。


「おめでとうございます!◯時◯分!」とみなさんが口々に言って、子がお腹から出たことがわかった。Twitterで、麻酔してても帝王切開のとき子供が取り出される瞬間はわかった、みたいなエピソードを見かけたことがあったけど、私は全くわからなかった。

遠くで子の泣き声が聞こえて、本当に産まれたんだ!良かった!なんか子供の泣き声にしては聞いたことない泣き方だ、これが新生児か。と思って、それまでもずっと嗚咽付きの大号泣をし続けていたけど、余計に涙が出た。スタッフたちが、泣いてる声聞こえますか?赤ちゃん無事ですよ!と声をかけてくれて、私はずっと、ありがとうございますを連呼してた。


先生から、緊急の帝王切開になってしまってごめんなさいということと、子宮を切っているので今後もし妊娠した場合も帝王切開になるだろうということ、出血の状態をしばらく見るけどたぶん今のところ大丈夫だと思う、みたいな説明を受けた。

私はもうとにかくありがとうございますを言い続けた。


スタッフが新生児用の透明なケースに入った子を手術台の横まで持ってきてくれて、少し触らせてくれた。お目めパッチリですよ!とか言われて見たら本当にパッチリで、かわいい!と思った。あと本当に本当に小さくてびっくりした。


切ったお腹を縫ってもらっている間も、安堵をはじめとするいろんな感情でずっと嗚咽していた。深呼吸して、と言われて少しずつ落ち着いていった。

無事に産まれて本当に良かった、というのと、夫に早く会いたい、これが終わったら会えるのだろうか?とまず思った。次に、親に会いたいと思った。できればこの、お腹を切って満身創痍で号泣している自分を見て欲しい、と何故か思った。褒めて欲しかったのかな。その次は、お腹空いた、と思った。(麻酔を入れる2時間前から食事NGだった)

あとは、帝王切開だから一部保険適用になるのかな、とかも思った。


夫に会えますか?とスタッフに聞いたら、「このあと会えますよ!ひと足先に赤ちゃん抱っこしてもらいました。すでにメロメロでしたよ」と言われて、あ〜子とも会えたんだ本当に良かった、と思った。


小児科の先生が声をかけてくれて、赤ちゃんが無事で元気なことを教えてくれて、この度はおめでとうございます、と言ってくれた。


お腹を縫う時間が思っていたより長く感じた。だんだん上半身がふわふわしてきて、麻酔が全身にまわっているのかな?と思っていたら急激に眠くなってきた。

お腹を縫い終わって、手術台からストレッチャーに乗せ替えられて、しばらく経過観察します的なことを言われて放置された。その間、ものすごく眠くてたまらなかった。手術室内で鳴ってるピッピッピっという機械音が自分の脈とリンクしていることに気づいた。私が眠くて意識が遠のくと、その機械音が遅く低音になっていくのを聴いて、「もしかしてこのふわふわ感と睡魔に身を委ねるとそのまま死んじゃうのかも!整形で死に際を彷徨ったRちゃんが「心地良い感覚でこのままこっち行っちゃおうて思った」って言ってた!!」と思って怖くなって、眠りそうになるたびに深呼吸して意識を保っていた。(たぶんさすがに死ぬとかではなかったんだと思うけどなぜかすごく怖かった)

先生が、眠くなるような薬は使ってないから、純粋にホッとして疲れが出たんだと思いますよ的なことを言っていた。


術後の状態は無事だったらしく、ストレッチャーで夫のところへ行けることになった。

夫と再会できたとき、嬉しくて涙が出た。夫が、頑張ったね、すごいね、ありがとう、と言ってくれて嬉しかった。本当は抱きつきたかったけどさすがに無理すぎた。助産師さんが子を私の脇に置いてくれた。小さくてベロも出してて動いてて可愛かった。子と夫と泣き顔クソブスの私の3人で写真を撮った。

ここから先は入院。夫としばしお別れするのが寂しかった。

 

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すごい長い戦いだった。出産は命懸け、と言うけど本当に身を持ってそう感じた。自分の母親へのリスペクトも増した。

 

あとから、なぜ途中から麻酔が全く効かなかったのか聞いてみたら、

・お産が進むスピードに麻酔が追いつかなかった

・子がちゃんと入るべき場所に入れていなくてより痛みが強くなっていた

あたりが考えられる理由と言われた。

 

無痛分娩のつもりで挑んだから、一定レベルの陣痛に耐えられれば、麻酔でいつか少しラクになるはず…という気持ちだったので、一向にラクにならない状況に「なんで?どうして?」とかなり焦ってしまった。あと、薬を増やしたりより強いものに変えてくれたりするたびに、これで10分後には少しマシになるはず→ならない、むしろ痛みが増す、という、期待して落とされる状況が繰り返されてどんどんパニックになってしまった。あとは、事前にちゃんと眠れていなかったのも、より痛みを強く感じる要因になっていたかもしれない。

妊娠中から、自分はかなり小柄なので経膣分娩が可能なのかそもそも心配だったから、なるべくしてなった結果なのかもな、とも思ったり…

いずれにせよ、全力で対応してくださった産院のみなさんには本当に感謝の気持ちでいっぱい。

手術が終わったとき、先生や看護師さん同士が「ありがとうございました」と言い合っている声を聞いて、素敵な現場だなとぼんやりした頭で思った。

 

 

 

妊娠発覚以降、予定日までを指折り数えて、毎日毎日必要な情報を集め、体を分析し体調と向き合い、新しい行動をして、「そうじゃなかった頃の自分」を少しずつ確実に失ってきた。自分に突如貼られた「母親」という最もわかりやすくバカでかいラベルの色が、1日経つごとに濃くなって、隣の「母親」と馴染んでいくのを感じた日々。ここにカテゴライズされたら、もう二度と抜け出せないんだね。もう戻れない。でもそれは不幸なことではない。

「さよなら、あなた不在のかつての素晴らしき世界」

本当にそんな感じ。

 

グレープフルーツの話

 

音楽というものは非常に罪深い。様々な記憶を呼び起こすから。苦しかったこととか。幸せだったこととか。絶望とか。付き合っていた人のこととか。幼かった自分とか。

 

今日久しぶりにAlexandrosを聴いた。先日彼が「閃光」のMVが最高過ぎると教えてくれて一緒に見たことに影響された。Alexandrosは、サトヤスが勇退する直前のツアーで埼玉公演を彼と観に行った。元々私が好きで、彼はあまり詳しくなかったはずだけど、ようぺの歌唱力とスタイルの良さに驚愕したようで、「水飲んでるだけであんなかっこいい人いる?」と興奮していた。確かにアンプに片足かけて水を飲むようぺは最高にイケていた。

 

私がこのバンドを知ったとき、AlexandrosはまだChampagneだった。初めて聞いたのはShe's Very。これは私が人生で唯一思い出してはいけない男が教えてくれた。野垂れ死んでいますように。

もしも私の周りにAlexandros好きがいなかったとしたら、私の中でAlexandrosはこの野垂れ死ぬ野郎とだけ結びついてしまっていたことでしょう。幸いなことに、Alexandros溺愛の友人、会社の後輩などが記憶を上塗りしてくれた。そして今は彼と埼玉で聴いたアーティスト、MVがかっこいいアーティストなどなど(なんかこう言うとすごく安っぽい感じになるけどちょっと表現考えるのめんどくなった)として私の日常に存在してもいい形として成立している。

 

一番好きな曲はLeaving Grapefruits。だけどこれも昔付き合っていた人のことを思い出す。というかそのとき自分が思っていたこととか、大変だったな、みたいなこととかを。

 

これまで小さな不穏な出来事はあったものの、本格的な大きな喧嘩をしたことはなかった私たちが、のちにFIN.になるきっかけとなる大喧嘩をぶちかました。むかつきすぎて深夜にぶん殴ったのを覚えている。付き合った人をぶん殴ったのはあれが最初で最後だったな。

そこから全く口をきいてもらえなくなったけど、毎回少しでも喧嘩気味になると私が歩み寄らねばならない人だったので、そのときも何度か試みた。でも出て行けと言われた。その人の性格上、煽っているだけで、一度そういう態度を取ってしまった以上後に引けずどう私と接すればいいのかわからないだけなのはわかっていたけど、何度か私がプライドを押し殺して試した歩み寄りにこれでもかと頑固を貫き応じなかったのと、盗み見たLINEに元カノとのやりとりがあったのでもういいやと思った。元カノとは今でも友達であることは知っていたので連絡を取り合っていること自体はそこまで嫌ではなかったものの、許せなかったのは、遡っていくとこれまでずっと、私と喧嘩っぽくなったタイミングで必ずそいつに連絡していたこと。

 

溜まっていた振休、有給を使い倒してすぐさま家を決め、引っ越し業者を手配した。業者が事前に送ってくれた段ボールたちは隠した。タンスの裏とか、押入れの奥深くに。古いけどバカみたいに広い家で良かった。

 

この頃、仕事が終わって最寄駅から家までの一本道を歩くたびに、Leaving  Grapefruitsを聴いていた。

 

 

もう一度出逢うなら

今度はどんな二人になろうか?

その時はどんな話題で笑おうか?

どんなことで泣こうか?

思い出してみても 二人は全部 全部 出し切って

これ以上ないほどの感情を出して

疲れ果てたのかな

 

 

私がしんどいことがあって泣いていても必ず笑わせてくれていたのに、毎日突拍子もないことばかりでなにを話しても楽しかったのに、もう無理なのか。いつかまた笑って話せる日が来るのだろうか。本当にもう無理なのだろうか。そんな気持ちだった。

 

でも、何度もこちらが歩み寄ろうとしたのに目も見ない男、そもそも喧嘩の発端も奴なのに。これまでも毎回私が歩み寄ってきた。酒癖悪い、謝れない、そんな奴、要る?

さらにこの時期、私は転職が決まっていた。これから始まる新しい仕事のことにただでさえ緊張していたのに、加えてこんな幼い男のことにまで自分の心を割く余裕はない。きっとこいつは、私が新しい職場でもし楽しく仕事をしていたら、そこに対しても不機嫌になるだろう。自分の知らない世界に行ってしまった私を敵視し、私の新しい人間関係に嫉妬するだろう。足を引っ張る可能性のあるものはすべて排除するしかない。

 

という感じで開き直ったのと、新アルバムが発売されたのもあり、帰り道に聴く曲はLOVE PSYCHEDELICO のMight Fall In Love 、Place Of Love とかになった。Place Of Love の流れで最終的には「他人の関係」のバンドバージョンをひたすら聴き、昼顔で旦那が出かけたと同時に吉瀬美智子がせっせとパンを焼き北村一輝とのデートの準備を爆速でする、あのシーンの感じで家から出て行ってやる、なんなら夜逃げバリに奴の知らぬ間に出て行ってやる、そういう気持ちになった。(実際に引っ越し業者に夜逃げ的な感じで引っ越す時間の指定ができないか問い合わせた、なんか無理そうだったので諦めたけど)

 

引っ越しが迫ったある朝、なんと奴が段ボールを見つけ、呆然とした様子で「引っ越すの…?」と聞いてきた。本当に気づいていなかったのか、とこちらもびっくりした。

そこからは引き留められもしたし、冷静に話すことができたけど、奴が根本的な幼さや酒癖の悪さを変えられないであろうことは想像に容易かったので私の決意は変わらなかった(新居の金も払ってしまっていたし)

 

結局、奴は夜通し私の引っ越し準備を手伝ってくれた。本当は奴が出社したあと業者がくるまでの2時間ですべてを詰め込み、奴が夜帰宅したときに私の荷物だけがなくなっている状況にしてやりたかったけど、見つかってしまったので仕方ない。実際、準備はふたりでやっても何時間もかかったので、もし当初の予定通りいっていたとしたら全然詰められなくて業者に大迷惑をかけていたことでしょう。

 

そんなLeaving Grapefruitsの記憶。

短期間でものすごくいろんなことを考えて、辛かったけど英断をしたあのときの自分を思い出す。

ちなみに引っ越しは服とか必要なものしか持ち出さなかったのと、予定外の引っ越しでびっくりするくらいお金がなくなったので、ベッド・洗濯機・ガスコンロ・冷蔵庫・電子レンジなど家電は一式なにもないまましばらく生きた。半額になった3個入りのパンを少しずつ食べ、服は風呂場で手洗いし、床で寝た。文明の利器のありがたみを再認識した数ヶ月だった。そんな状態になっても、あの男は捨てて良かったし、人間生きようと思えばなんとかなるのだと思った。あと普通に精神的には離婚したときのほうがキツかったので、あのときよりはマシ、と自分に言い聞かせて生きた。

 

おわり。なんかまとめ方も雑になってしまったけど、いろいろ思い出して、あー本当にあのときあの判断をして良かったなと思う。音楽きっかけで過去のこととか今のことを書き連ねるの楽しいな、またやろうかな。

最近の話

 

1、美容

2、仕事

3、私生活

について書こうと思います。突然ですが。

 

 

1、美容

1年半前からスキンケアラインをゼオスキンに総入れ替えして、肌質がめちゃくちゃ改善されました。途中で買いに行くのが面倒になってしまい、診察なしでオンライン購入できるエンビロンへ浮気したんですけど、そしたらだんだん治安が悪くなってきてしまい、結局ゼオスキンに戻しました。今はオンラインのカウンセリングをやっているクリニックで診てもらって、オンラインで購入しています。オンライン診療が便利すぎて、文明ありがとうという気持ちです。ひとつ苦言を呈しますと、オンライン診療の際の専用アプリのカメラに写る自分がこの世のものとは思えないくらい盛れなくて、毎回萎えます。そのクリニックへ直接出向いたことはないですが、スタッフのみなさんにほんとはもう少しマシな顔なんですと言い訳しに行きたいくらい酷い写りです。

 

ところでなんの予告もなしに梅雨が終わって(終わった?)猛暑が到来したことで、脇汗滝汗問題が気になり始めました。脇のボトックスやりたいって数年前から思っているんですけど、まだやったことないんですよね。経験者の方がいらっしゃいましたらなんか良い背中を押すひとことをいただきたいです。なにが自分の中でハードルになっているのかと言うと、①予約するのが面倒 ②行くのが面倒 です。

 

それと、私は体力も筋力もびっくりするくらいなくて、よく生きてるなって感じなんですが、いろんなことを気合いで乗り切るには限界を感じ始めており、筋トレをしたいなと思っています。ですが、O脚だし猫背だし、肩こりも酷いし…などから、わたしの骨はいろんなところで歪んでいるのでは?とも思っているのです。そうすると、この状態で筋トレを始めて、絢香&コブクロ並みに曲がりくねった骨の先に筋肉がついてしまうと、なんかそれは良くないのでは??とか思うわけなのです。この仮説についていかがでしょうか?筋トレやってる方々、ご意見伺えますと幸いです。ちなみにとりあえず身体の様子がどんな感じか診てもらおうと思い、整体的なものは予約してみました。

美容については以上です。

 

 

2、仕事

こちらは、ありがたいことに私は今メンバー数人の自分のチームを持たせていただいているのですが、もう少し権力(言い方)がほしくて、根回しとアピールと実績作りなどに勤しんでるところです。この年齢って、そういう感じですよね…。なぜ権力(=わかりやすい肩書き)がほしいのか、というと、30代での転職は業務スキル的な即戦力か、管理能力が求められるのではと思ったからです。私の業界と職種的に、めちゃくちゃ専門的なスキルというよりも、どちらかというと経験とコミュ力がすべてという感じで、その点はまぁまぁ蓄えられたかなと思っているので、チームをマネジメントできるというファクトを作っていこうと思ったしだいです。転職の予定はないですけど。

というか、転職したとしてもマネジメントするような感じの仕事を他社でもしたいのか、と自問したところ、あんまり興味なかったのです。今の会社だからこそやりたいことだな、というのが最近思ったことでした。

 

もう少しいうと、自分が手を動かすことにちょっと疲れてしまったというのも正直なところです。自分があれこれ細かいところをやらなくても現場がちゃんとまわるような、そういう環境にしたいなという感じです。これは私生活における変化へも繋がる話ですが。

 

 

 

3、私生活

私生活って、美容、仕事、と比べるとすごく漠然として規模のでかいテーマですかね。そもそも美容も私生活の一部ですよね。まぁいいか。仕事の話とも繋がりますが、数年後に生活環境を一新しようと思っており、その準備を始めています。めんどくさがりなのでいろいろと後回しにしてしまっていますが、まだ時間はあるので気長にやります。楽しみです。その新しい環境を享受するためにも、仕事の環境を整える必要があるといった感じです。生活環境について考えなおしたきっかけは、いくつかありますが、ひとつはパンデミックでした。

 

鋭角に話題を変えますが、先日King Gnuのファンクラブ限定Liveへ行きました。私がKing Gnuを知ったのは、ある人にTwitterでフォローされたのがきっかけでした。その人は、たぶん男性で、TLを見に行くとドン引きレベルのエロ動画ばかりをツイートしている人でした。その人の直近のツイートに貼ってあった動画が、何かのMVの一部と思われるもので、たしかにちょっとエロい、でもめちゃくちゃかっこいいMVで、誰の何の曲なんだ!?と思い、歌詞を聞き取ってググりました。それが、King Gnuの「vinyl」でした。

そこからKing Gnuの他のMVも観て、やばいバンドを見つけてしまったと思い、一気にハマって聴きまくりました。私がvinylを知ってからちょうど1年後、彼らはメジャーデビューしました。

実力も経歴も売り出し方も完璧だったのか、猛スピードで彼らは有名になり、当時はマイナーな音楽とかカルチャーが好きな後輩くらいしか知らなかったのに、瞬く間に世間に知れ渡っていきました。そして今ではファンクラブ会員だけで2万人も集められるようなすごいアーティストになっています。本当にすごい。語彙がすごいしか出なくなるくらいすごい。

それで、古参っぽく言いますと、さみしいなってちょっぴり思ったりします。私よりずっと前から彼らを知っている方々からしたら、もっと寂しいかもしれません。それこそ、Srv.Vinci時代から聴いている方々とかは、「変わってしまった」とか、思うのかもしれないです。嬉しいけど、ちょっと、なんか、寂しいなって。

 

そういうファンの心理を予想した上で、先日のLiveの1曲目に「カメレオン」を、そして最後に「一途」を持ってきていたのだとしたら、これはもうとんでもなくないですか?実際彼らがそこまで考えていたのかはわかりませんが、個人的にはそれが彼らからのメッセージなのだと捉えて勝手に打ち震えたいと思います。

 

 

終わりです。もう少し書こうと思っていたことがあったんですが、やっぱり別の機会にしようと思います。

 

楽しかった話

 

眠れない。ここ最近は比較的眠れてたのに。

だけど今夜眠れない理由には、心当たりがあるっちゃある。

 

今日、大好きな後輩と会って、最近思っていることを話しまくった。

Twitterに疲れたこと。

出どころのよくわからない金で生きている人のハイクオリティぶった恋愛観や人生観

バズ狙いの(でも全く中身のない、場合によっちゃ日本語的にも成立していない)ツイートしかしない人の痛々しさ

真理をついたようで当たり前のことしか言っていないバズツイートのリツイート(謎のルールによる宣伝付き)

ほんとか嘘かわからない豆知識

過剰に煽るおすすめコスメや美容How to

本当にその人のものかわからないイヌやネコの動画

など、全部が嫌になった。気持ち悪い。虚構すぎて無理。

 

実態のあるものとしか関わりたくない。

実態のある人にしか心を割きたくない。

上のようなツイートたちに何かしら思考を持っていかれる自分の性格上、今のタイムラインがあまりにもノイジーすぎる。

昔のTwitterは(という言い方は古参厨ぽくて嫌だけど)もっとどうでもいいことを呟けたのに。もっとどうでもいい、人間の生活の一部、って感じの世界だったのに。

 

そういう人間ぽさを求めて、ずっと前にGRAVITYをダウンロードしていたから、久しぶりにそっちを見てみようと思った。そしたら驚くべきことにTwitterと同じ状況だった。

ローンチされたばかりの頃は、もっと心の闇とかドロドロしたもの呟けたじゃん!

優しい世界だったんじゃないの?

個人が繋がるプラットフォームは、承認欲求たちにまみれていく運命なのだろうか。

 

そんなことを話していたら後輩に「Filmarksも今そんな感じですよ」と言われてぎょっとした。私は超最低限の人しかフォローしていなかったし他ユーザーと交流もしないので気がつかなかった。でも「なるほど、だから花束みたいな恋をした、の評価があんなに高かったんだね」と納得した。

 

 

 

あと、最近毎晩20〜30分ずつ映画を観ているから、その話もした。本当はいっきに観たいけど、まとまった時間を取れないのと、毎日少しでも自分の世界に入れる時間を取りたくて、2〜3日に1本観終わるペースで観ている。

映画を観る視点って、自分自身のそのときのコンディションでかなり感想が変わるなー、というのが最近思ったこと。

ストーリーや登場人物にめちゃくちゃ共感するときもあれば、そういったものには全く心動かされないけど映像の撮り方やばっすごっ、てなるときもある。

 

そして思うのは、自分の語彙力の無さ。

作品をみているときはいろんなことを思ったのに、文章に起こした瞬間、違う温度感になってしまう。そうだけど、そうじゃないんだよな、という感じ。あらゆる形容詞で表現してみるけど、文末が「良かった」「美しかった」「共感した」などに落ちついた途端に、その文章全体が陳腐なものに成り下がってしまう。この感覚を後輩と共感し合えたのがすごく嬉しかった。

私的には、後輩の文章における表現力は素晴らしいと思っていつも見ているのだけど。

 

直近で観た作品が画家の話だったこともあって、絵画を見るときの感覚についても話した。

絵を描く人が「この瞬間を描きたい!」と思うのと、私がカメラで「この瞬間を撮りたい!」と思うのは、同じような感覚なんだなという発見を、映画を通してしたのだけど、私は昔から絵の良さはわからない。なんかこの絵好きだな、という感想は抱くことはあるけど、なぜ好きなのか、とか聞かれても説明できないし、世間で評価されているような絵も、賞賛される理由がわからない。

 

けど後輩と話していて、まず好きな理由は特になくて良いんだということがわかった。そして、文献を読んで時代背景などもろもろを知っていくと、自分がなぜ惹かれるのか少しずつ見えてくるということもわかった。

次は後輩と美術展へ行きたい。

 

 

 

 

 

こんな風に疲れてしまったのは、今のような、あまり出歩かず、人とも会わない状況が続いたからこそなのかもしれない、と思ったのが今日の結論。

人とリアルで会話をすることのハードルが上がった分、誰と会うか(誰のために時間や労力をつかうか)、誰から何の情報をもらうか、がめちゃくちゃ重要になってしまった。そうなってくると、虚構が発信する虚構について思考することに、一体なんの意味があるのだろう。

私は毎日飽きずに一緒に居られる夫と、こんな状況下でも定期的に連絡を取り合う数少ない友人や後輩がいるだけで、充分なんだよな。

 

楽しかった1日の余韻。

 

 

 

つまらない話

変な時間に寝てしまったのでさっき目が覚めて、そこから眠れずにいる。だから久しぶりに何か書いてみようかなって思った。いつかみたいにまた脈絡のない内容になりそう。

 

眠れない今これを書いているので信憑性がなくなってしまうかもしれないけど、基本的に最近の寝付きはまぁまぁ良い。ひろゆき(の切り抜き)で見た連想式睡眠法のおかげ。これは不眠系の人たち全員におすすめしたいと思った。これまで、あらゆる寝つきをよくする方法を試して、サプリも飲み、時には眠剤も飲んできたけど、一番手っ取り早くてかつ効果もあってとても感動した。

 

 

不眠と同じくらい悩みの種なのが肩凝りだけど、今年に入ってから徹底的に頭をほぐすことをしていて、これも結構良いなと思っている。Panasonic頭皮マッサージのやつをお風呂に入りながらやっている。下から上へ、頭頂部に向かって引き上げるみたいな感じでやっている。

だんだんわかってくるけど、頭の前半分あたりは目のむくみとかに効いていて、後ろ半分は法令線あたりとか、首らへんに効いていると思う。当てているところではない皮膚が連動して動くのがわかる。人間の皮膚や筋肉って繋がっているんだなと改めて感じる。

 

加えて、これは整体師的な人の動画を見て実践してみたんだけど、首の横〜前の筋肉をほぐすと、肩凝りや頭痛が緩和される!これまでは肩凝りをマシにするために、首の後ろや肩の筋肉をマッサージしていたけど、首の前側を触るとは盲点であった。これも筋肉の繋がりを感じて、人体ってすごいなと思った。小学生みたいな感想。

 

ところで私は筋トレみたいな運動を全くしないんだけど(しなきゃとは思っている)、筋肉をつけたら肩凝りがマシになったりするんだろうか?

というのも、夫は肩凝りというものを感じたことがないらしいんだよね。会社の先輩も、肩凝り知らずだった。共通しているのは昔から運動していて、今も定期的に運動している、ということだから、関係あるのかな?と思った。ぐぐればこの説の見解が出てきそうだけどまだ調べてない。

 

ぐぐればすぐ何かがわかるって、便利な世の中だなと思うんだけど、正しい情報や本当に欲しい情報を拾うことがすごく難しいよね。筋トレ、睡眠系の情報も溢れまくっているし、個人的には特に美容系の情報を拾って整理するのがとても大変!!!今はゼオスキンのラインを使っているけど、他の医療専売系スキンケアも気になるし、ゼオだと保湿がイマイチで、次の一手を考えたいんだよね。でも何がいいかって人によるだろうし、情報が多すぎて思考するのに疲れる。

 

 

まじでしょうもない内容でつまんない日記だな。なんかほかに最近面白いことあったかな?て記憶を辿ってみたけど敢えて書くようなことは特になかった。哲学系の本を読み漁ったからまとめてみたいけど人や考え方が多すぎて難しそうだし、仕事で素晴らしい経験をしたけどここで公開はできないし……何か思い出したら書くことにする。でも日常はとても楽しいよ。

 

おわり。

 

リアル

今日会社へ行くとき久しぶりにミスチルを聴いた。ベスト盤みたいなやつで、その中に「フェイク」があった。

 

大学生の頃、このフェイクをめちゃくちゃ良い感じに分析したブログがあって、当時私はフェイクをちゃんと聴いたことなかったのだけど、その文章の表現力と歌詞に対する分析の視点に感動した。そしてミスチルすごいと思った。

 

そのブログは、後輩の男の子が教えてくれた。というよりも確か、素晴らしいブログを見つけたというような内容で、ブログを引用する形のmixi日記を書いていた気がする。

 

彼は特段ミスチルの大ファンだったわけではなくて、まぁたまに聴く、くらいの感じだったと思う。どちらかというとサカナクションの方がたぶん好きだったと思う。バッハの旋律を夜に聴いたせいです。の話をしたことがある。

 

何においてもセンスの良い彼は、一度見せてくれた部屋の写真もインテリアがおしゃれで、もちろん毎日のファッションもイケていた。田舎の大学で比較的イモっぽいメンツが多かったのに珍しい奴だった。

私と彼は同じサークルだった。サークルのメンバーでキャンプへ行ったとき、管理室の壁に飾ってあった本物の鹿のツノを、「俺が狩った鹿だ」と言う管理人と交渉して1万円で譲ってもらい、そのまま抱えて帰っていた。

 

就職して赴任した先にもあのツノは持って行ったのだろうか。

 

ただでさえ交友関係が広くなかった私は、後輩なんてさらに知り合いがいなかったけど、彼とはなんでも話した。

お互いの恋人の話とか2ちゃんねるの話とか。

たぶんもっといろんな話をしたのに今となってはあまり思い出せない。

馬鹿みたいに広い駐車場のあるスターバックスのテラス席で、延々と喋った。

 

私がその地を去ることになったとき、最後のドライブに行った。どこへ行ったのかは全く覚えていない。餞別に何が欲しいか聞かれて、私は「君が身につけていた何かが欲しい」と答えた。そして彼は私の指には到底ハマらないごついリングをくれた。

 

あの頃、もしも30歳になったときお互いに独身だったら結婚しよう、という話をした。

それまでもその先も彼と付き合うなどの話に至ったことはなくて、でもお互いに、良いねそうしよう、と話した。

燃え上がるような恋愛感情ではなく、一緒に生きたら楽しいだろうなと思った。

 

今年、私は幸せな30歳になった。

彼はどこで何をしているんだろう。

幸せだろうか。

今もときどきフェイクを聴いているだろうか。