砂漠の中のねこ

息継ぎがしたい

ありきたりな女

 

出産の記録

 

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夜中2時頃、さて寝るぞ、というタイミングでタラタラと温かいものがパンツの中を流れる感じがした。妊娠してからずっと、おりものが水っぽくなったから、今回もそれかなって思ったものの、なんかいつもより量が多い気がしてトイレへ行った。パンツかなり濡れてて、もしかして破水か?とも一瞬思ったけど、いつもこんな感じだし変な臭いもしないし出血でもないし、まぁいいかと思ってベッドに戻った。

そしたら数分も経たないうちにまたタラタラと温かいものが流れ出る感触があって、これはやっぱり変だ!と思って夫に「もしかしたら破水したかも」と伝えた。


違う可能性もあるし産院に電話するか迷ったけど、もう一度トイレに行ったらここでもタラタラ流れる感じがあって、さらに、拭いたらうっすいピンク色が混ざっていたから、「これはもう破水だ」とほぼ確信した。


産院に電話して状況を伝えたら、診察するから入院セットを持って今すぐ来て、とのことだったから、急いで準備した。夫が陣痛タクシーを呼んでくれた。

 

3時すぎに産院に到着してすぐ内診してくれて、破水&入院が確定した。

その後、だいたい3時40分頃から子宮あたりがギューっと痛くなり始めた。よく言われるように生理痛に似た痛みで、4分置きくらいに来た。


そこから痛みがだんだん強くなって、少しは眠りたかったけど一睡もできずに朝を迎えた。8時半頃に朝食が来て、すごくお腹が空いていたのと、眠れなかったからせめてちゃんと食べようと思って全部食べた。食べてる途中も陣痛が来ると痛くて、時々中断しながら食べた。


その後は痛みがどんどん強くなるばかり。最初は子宮が痛かっただけの陣痛は腰とかも痛くなるようになって、夫に思い切り押してもらったりした。

内診も何度かしてもらったけど子宮口は1センチ以上開かず…この開きだと麻酔を入れるのも微妙とのことで、もう少し頑張ることにしたものの、昼過ぎには涙が出るくらい痛くて耐えられなくなった。

泣くつもりなんて全くなかったのに、本当に痛いし、一睡もできていない自分のコンディションも踏まえて、この先進みゆくお産を耐えられるのか自信がなくて涙が止まらなかった。


夫も一生懸命に腰を押してくれてとてもありがたかった。陣痛が来ると本当に喋るのも辛くて、うまく指示が出せなかったから、戸惑わせてしまったと思うけど…

「頑張ってるよ、すごいよ!呼吸良い感じだよ!」みたいに前向きな言葉をたくさんくれて、その優しさもすごくありがたかった。

妊娠中に一緒にYouTubeを観たりして本当に良かったと思った。前向きな気持ちでお産に挑む、陣痛はエネルギー、という共通認識を持てていたと思う。私は途中で痛すぎて心が折れてしまったけども…


午後2時半頃、内診で子宮口が2.5センチくらいになり、先生がしぶしぶOKしてくれて麻酔を入れてくれた。入れてもらったあとはかなりラクになって、少しウトウトすることができた。


でも夕方からまた陣痛が痛くなってきて、そこからはどんどん強くなるばかりだった。

何度も麻酔科の先生が薬を足してくれたり、より強い薬に変更してくれたりしたけど、効果は得られず。子宮口も4センチくらいまでは開いたものの、そこから変わらず、陣痛は麻酔を入れる前と同じくらいの痛みになってしまって、子宮もお尻も腰も激痛でまたしても涙が止まらなくなった。何度も泣くのは意志薄弱って感じで嫌だったけど、麻酔を入れているにもかかわらず4センチ時点でこんなに痛いなんて、産道を通るときは一体どのくらいヤバイ痛みなんだろう、これ以上痛いのは絶対に耐えられない、どうしよう、そもそもなんで無痛分娩なのにこんなに痛いの、なぜ麻酔が効かないの、という気持ちになってしまって、どうしたら良いのかわからず、パニックだった。

先生たちは、ゆっくり深呼吸して!と何度も言うし、頭ではわかっているけど、声を出さずにはいられなかった。パニックなりに考えて、吸うときに思い切り声を出して、吐くときはなるべく息だけ、を意識してた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。

 


(余談だけど、陣痛は、先生やスタッフにどこがどんな風に痛いのかをちゃんと伝えることがかなり重要だなと思った。それによって、お産がどのくらい進んでいるのかをみなさんが目処つけたり次の判断をしているのがよくわかった。)

 


あまりにも麻酔の効果が見られないということで、違う方法で違う種類の麻酔を入れてくれることになった。背中に針を入れるところからやり直した。(背中に入れるときも、体をかなり丸めたり、背中を突き出したり、動いちゃダメだったり、結構難しい…あと痛い)

新しい麻酔を入れたら、それまでは左足のふとももしか麻痺してなかったのに、右足も、腰も、下半身全体が麻痺した。

麻酔の先生いわく、出産時に足が全く動かないのは絶対NGだから、産まれるタイミングになったら元に戻す的な感じだった。この新しい麻酔をしている間に体を休めよう、てことだった。


そしたらなんと子の心拍が聞こえなくなった。麻酔科の先生がインカムみたいなので産科の先生を呼んで、そこからどんどんスタッフがきて私をいろんな体勢にした。上半身は動かせても下半身は麻痺して全く動かせず、先生たちが動かしてくれた。四つん這いになるのがとてもとても大変だった。本当に足の感覚がないから、全く安定しない。


先生が、子の状態が良くないから帝王切開にするね、と言って、ストレッチャーで運ばれてオペ室へ行った。正直、2度目に涙が出てきたタイミングで、もう絶対に耐えられないと思うから帝王切開にしてほしい…と少し思っていたから、先生たちはごめんねと言ってくれたけど私的にはもうそれで全然良いですという気持ちだった。

号泣しすぎてパニクってるのは明らかだったと思うけど、意思はちゃんとある、頭は狂ってない、というのをせめて先生たちにわかって欲しくて、先生たちが何か説明したり話しかけたりしてくれるときは、目を見てめちゃくちゃはっきり返事をすることを心がけた。


子のことが心配だった。この10ヶ月弱、いろんな大変な思いをして乗り越えてここまで来て、今日もこんなに辛い陣痛を何時間も耐えてきたのに、結果的に助かりませんでした、てなるなんて嫌だと思った。ここまで妊婦生活を支えてくれた夫はもちろん、心配したり気遣ってくれた友達とか、親とかに、ちゃんと子を見せてあげたいと思った。

と同時に、帝王切開がどのくらい痛いのか怖くて怖くてたまらなかった。度重なる強烈な陣痛で、痛みに怯えまくってしまって、お腹を切るとき痛いのかな?とか、耐えられるのかな?もう痛いの嫌だよ、とか思ってずっと号泣していた。泣き続ける私を見て、まだ陣痛が辛い?と声をかけてくれるスタッフに、帝王切開が怖い、てずっと言っていた。


さすがに帝王切開の麻酔は、胸くらいまで効くような強いものらしく、体に触られている感覚はあるものの痛みは全くなかった。オペ室に入ったら子の心拍も戻っていて、先生が他のスタッフに「心拍戻ってるから落ち着いていきましょう」みたいな声掛けをしていた。

メスを入れた先生は、痛くないですか?とか確認しながらやってくれたし、他のスタッフたちも手を握ってくれて、「赤ちゃんは心拍も戻ってるし大丈夫だからね」「小児科の先生も駆けつけてくれてるから安心してね」と声をかけてくれた。

そういう声かけに少しずつ安堵して、そのたびにその安堵と先生やスタッフたちの優しさにまた涙が出た。


「おめでとうございます!◯時◯分!」とみなさんが口々に言って、子がお腹から出たことがわかった。Twitterで、麻酔してても帝王切開のとき子供が取り出される瞬間はわかった、みたいなエピソードを見かけたことがあったけど、私は全くわからなかった。

遠くで子の泣き声が聞こえて、本当に産まれたんだ!良かった!なんか子供の泣き声にしては聞いたことない泣き方だ、これが新生児か。と思って、それまでもずっと嗚咽付きの大号泣をし続けていたけど、余計に涙が出た。スタッフたちが、泣いてる声聞こえますか?赤ちゃん無事ですよ!と声をかけてくれて、私はずっと、ありがとうございますを連呼してた。


先生から、緊急の帝王切開になってしまってごめんなさいということと、子宮を切っているので今後もし妊娠した場合も帝王切開になるだろうということ、出血の状態をしばらく見るけどたぶん今のところ大丈夫だと思う、みたいな説明を受けた。

私はもうとにかくありがとうございますを言い続けた。


スタッフが新生児用の透明なケースに入った子を手術台の横まで持ってきてくれて、少し触らせてくれた。お目めパッチリですよ!とか言われて見たら本当にパッチリで、かわいい!と思った。あと本当に本当に小さくてびっくりした。


切ったお腹を縫ってもらっている間も、安堵をはじめとするいろんな感情でずっと嗚咽していた。深呼吸して、と言われて少しずつ落ち着いていった。

無事に産まれて本当に良かった、というのと、夫に早く会いたい、これが終わったら会えるのだろうか?とまず思った。次に、親に会いたいと思った。できればこの、お腹を切って満身創痍で号泣している自分を見て欲しい、と何故か思った。褒めて欲しかったのかな。その次は、お腹空いた、と思った。(麻酔を入れる2時間前から食事NGだった)

あとは、帝王切開だから一部保険適用になるのかな、とかも思った。


夫に会えますか?とスタッフに聞いたら、「このあと会えますよ!ひと足先に赤ちゃん抱っこしてもらいました。すでにメロメロでしたよ」と言われて、あ〜子とも会えたんだ本当に良かった、と思った。


小児科の先生が声をかけてくれて、赤ちゃんが無事で元気なことを教えてくれて、この度はおめでとうございます、と言ってくれた。


お腹を縫う時間が思っていたより長く感じた。だんだん上半身がふわふわしてきて、麻酔が全身にまわっているのかな?と思っていたら急激に眠くなってきた。

お腹を縫い終わって、手術台からストレッチャーに乗せ替えられて、しばらく経過観察します的なことを言われて放置された。その間、ものすごく眠くてたまらなかった。手術室内で鳴ってるピッピッピっという機械音が自分の脈とリンクしていることに気づいた。私が眠くて意識が遠のくと、その機械音が遅く低音になっていくのを聴いて、「もしかしてこのふわふわ感と睡魔に身を委ねるとそのまま死んじゃうのかも!整形で死に際を彷徨ったRちゃんが「心地良い感覚でこのままこっち行っちゃおうて思った」って言ってた!!」と思って怖くなって、眠りそうになるたびに深呼吸して意識を保っていた。(たぶんさすがに死ぬとかではなかったんだと思うけどなぜかすごく怖かった)

先生が、眠くなるような薬は使ってないから、純粋にホッとして疲れが出たんだと思いますよ的なことを言っていた。


術後の状態は無事だったらしく、ストレッチャーで夫のところへ行けることになった。

夫と再会できたとき、嬉しくて涙が出た。夫が、頑張ったね、すごいね、ありがとう、と言ってくれて嬉しかった。本当は抱きつきたかったけどさすがに無理すぎた。助産師さんが子を私の脇に置いてくれた。小さくてベロも出してて動いてて可愛かった。子と夫と泣き顔クソブスの私の3人で写真を撮った。

ここから先は入院。夫としばしお別れするのが寂しかった。

 

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すごい長い戦いだった。出産は命懸け、と言うけど本当に身を持ってそう感じた。自分の母親へのリスペクトも増した。

 

あとから、なぜ途中から麻酔が全く効かなかったのか聞いてみたら、

・お産が進むスピードに麻酔が追いつかなかった

・子がちゃんと入るべき場所に入れていなくてより痛みが強くなっていた

あたりが考えられる理由と言われた。

 

無痛分娩のつもりで挑んだから、一定レベルの陣痛に耐えられれば、麻酔でいつか少しラクになるはず…という気持ちだったので、一向にラクにならない状況に「なんで?どうして?」とかなり焦ってしまった。あと、薬を増やしたりより強いものに変えてくれたりするたびに、これで10分後には少しマシになるはず→ならない、むしろ痛みが増す、という、期待して落とされる状況が繰り返されてどんどんパニックになってしまった。あとは、事前にちゃんと眠れていなかったのも、より痛みを強く感じる要因になっていたかもしれない。

妊娠中から、自分はかなり小柄なので経膣分娩が可能なのかそもそも心配だったから、なるべくしてなった結果なのかもな、とも思ったり…

いずれにせよ、全力で対応してくださった産院のみなさんには本当に感謝の気持ちでいっぱい。

手術が終わったとき、先生や看護師さん同士が「ありがとうございました」と言い合っている声を聞いて、素敵な現場だなとぼんやりした頭で思った。

 

 

 

妊娠発覚以降、予定日までを指折り数えて、毎日毎日必要な情報を集め、体を分析し体調と向き合い、新しい行動をして、「そうじゃなかった頃の自分」を少しずつ確実に失ってきた。自分に突如貼られた「母親」という最もわかりやすくバカでかいラベルの色が、1日経つごとに濃くなって、隣の「母親」と馴染んでいくのを感じた日々。ここにカテゴライズされたら、もう二度と抜け出せないんだね。もう戻れない。でもそれは不幸なことではない。

「さよなら、あなた不在のかつての素晴らしき世界」

本当にそんな感じ。