「こんな風に足蹴にされてるなんて思わないだろうね」と彼が言った。たいした内容ではない会話だった。
「足蹴にされる」と聞くと私はYUKIの「ふがいないや」を思い出し、まるで連想ゲームのようにアニメ「ハチミツとクローバー」と、それを私に教えてくれた人のことも蘇る。
その人はとても繊細で感受性が豊かで、まさにハチクロのような世界観で生きていた。いつも何かを抱えていて、不条理な現代の波に今にも飲み込まれそうになりながら、一方で自らの確固たるルールに則ってそこに立っていた。
記憶にある花も雪もイルミネーションも水族館の魚も、絨毯のように広がる田園も、そびえ立つ鉄塔も、横顔も、全部美しい。
最後の日はよく晴れていたな。
最後の日は来ないと思っていたのに。
宇多田ヒカルの「Passion」という曲がある。
前半の不安定なメロディーラインと歌詞で描いた過去の情景を、同じメロディーを繰り返し現在の感情を示す後半4行の歌詞で回収する、秀逸な曲。
後悔でも嫉妬でも切なさでもなく、前を向いて、情熱を注いだ過去を懐かしむ。
今そんな気持ち。「足蹴にされる」をきっかけに。
きっと二度と会うことはないんだろう。
私たちにできなかった未来の創出を、あなたのときとは少し違う感情で、彼としているよ。