砂漠の中のねこ

息継ぎがしたい

水が飲みたい

数年前、私がまだ地元にいた頃、月に1度あるかないかのペースで深夜2時や3時に連絡してくるのがたくみだった。
たいていは飲み歩いた帰りに「今から家行ってもいい?」というやつだった。


私はたくみと付き合いたいと思っていた時期がある。不動産関連の営業マンとしてバリバリ働く彼は、いつ会ってもイケメンで、優しくて、おもしろくて、一緒に過ごす時間(深夜だけど)は楽しかった。それに、私も彼もとある境遇を乗り越えたという共通の過去があり、そのことが私の中の「イケメンは信用できない説」を崩していたのである。
だけど私たちはふたりで呑みに行ったことも、デートをしたこともない。会うのは必ずたくみが深夜に連絡してきたときだけだった。


この状況を聞いたら誰もが思うだろう。

「それ、セフレじゃね?」と。
私もそう思う。私を好きだと言う割には付き合って欲しいとは言わない彼を前に、「私はこの人の都合の良い女なんだな」と思っていた。腹立たしくて連絡が来ても断ることももちろんあった。


たくみと最後に会ったとき、私は東京に行くことが決まった旨を報告した。お前の都合の良い女はもう卒業。ずっと遠くへ行ってお前のことなんて忘れてやるからな、あばよ。と思った。
あれから数年、たくみとは一度も会っていない。

 

 


私が東京に来た理由は転職先の会社が東京だったからである。というか、いろいろあって今まで興味のなかった大都会へ急に出たくなり、ご縁をたどって上京した。

 

東京という街も、新しい職場(ベンチャー)も猛烈に楽しかった。毎日毎日新しい発見と刺激に溢れていた。田んぼに囲まれたド田舎とは違って、こっちの時間は流れが速い。1日が濃密で、今朝のことが遠い昔に感じることもしょっちゅうある。
私はそうした環境を楽しんではいたけれど、3ヵ月ほど経った頃、「ちょっと待って」と思うようになった。確かに目まぐるしい日々を希望しているし、実際に謳歌している。でもちょっと待って。一旦休みたい。ちょっとでいいから、止まって欲しい。


そう願っても止まってくれないのが東京。これが私の、この街の印象である。
次々と溢れだす新しい情報、増える仕事、果てしない残業の日々、毎週のように発生する休日出勤。そういう日々の中にいると、ふとした瞬間に「一体私はなんのために頑張っているんだろう」みたいな気持ちになることがあった。目的意識をこれでもかと常に持ち続けていないと自分を見失ってしまう。東京は怖い街である。


そんな発狂寸前状態の私を救ったのが駿介だった。駿介は私と地元が同じで大学入学時に上京し、卒業後は都内にある少数精鋭のどベンチャーで働いていた。たくみから連絡が来なかった期間、ほんの少しだけ私は駿介と遠距離恋愛をしていたけれど、友達でいたほうが楽しいという理由で私が振られた。


東京で駿介と再会してから私たちはときどき会っては飲みに行ったりひと晩過ごしたりやることやったりするようになった。けど元サヤに戻ることはなかった。

そう、「これってセフレじゃね?」状態である。

でも当時の私にとっては、そしておそらく駿介にとっても、これがベストな関係性だった。


目まぐるしい日々の中で私は誰かに寄りかかりたくなることがあったけれど、かといって彼氏を作るほどの気力も体力もなかったのである。彼氏がいると、休日の予定を事前に合わせたり、せっかく1日中寝ていられるはずなのに起きて着替えて化粧をして待ち合わせ場所に向かうということを定期的にしなければならなくなる。会えない時期が続けば「彼氏なのに、彼女なのに、なぜ会えないんだ」、連絡がなければ「彼氏なのに、彼女なのに、なぜ連絡が取れないんだ」、あるいは会う約束をしていても急な仕事で会えなくなることもある、そういうストレスを抱えたくなかった。要は、自分のことに精一杯で、彼氏に向き合うという責任まで負う余裕がなかったのである。


駿介に会いたいな、と思う瞬間があって、タイミングが合えば会う。お互いの近況を話して、笑って、一緒に寝て、癒されて、そしてまた日常へ戻って行く。私からも駿介からも、もう一度付き合おうという話は出なかったけれど、駿介は他の男の人より特別な、心を許せる存在だった。少なくとも私の中では。


そういう状況になったとき、私はふとたくみのことを思い出した。もしかしたら、あのときたくみも同じような気持ちだったのではないかと。
営業マンとして仕事に追われ、接待や先輩上司との飲みの席が続く毎日だった彼は、同じ田舎とはいえ定時上がりのOLだった私とは全く違うスピード感で生きていたはずである。疲れたな、ちょっと休みたい、普段の日常とは違う空気を吸いたい、そう思ったときに思い浮かぶのが私だったのではないだろうか。私は当時、遊ばれている、バカにされていると思っていたけれど、もしかしたらたくみが私に会いたいと言う理由と、私が駿介に会いたいと思う理由は同じだったのかもしれない。

 

 


先日、久しぶりにたくみから連絡がきた。
会いたいです。ねこちゃんのことがなかなか忘れられなくて。今度会いに行かせて。
懐かしい気持ちになったのと同時に、東京へ行くことを報告したあの日、たくみが私に言った言葉を思い出した。
「付き合ってたら、東京へ行くなんて言わずにここにいてくれたの?」

 

 こいつ何言ってるんだろう?と思ったあの発言の意味を、荒波のくせに砂漠のように乾き切ったこの大都会で、今また考えるのである。