結婚して何ヶ月も経っているが、まだ名義変更していないものがたくさんある。
かなりのめんどくさがりなのと、いろんな手続きのために仕事を調整して平日を空けることが難しいなど、理由はいくつかあるが、気づくと「また変えるの面倒だしこのままでもいっか」と考えていることがたまにあってぎょっとする。
数年前に離婚したとき、この各種名義変更が本当に本当に本当に本当に大変だった。
初めての結婚は新しい苗字になったことがめちゃくちゃ嬉しくて、新姓になった自分の字面がかっこよくて、嬉々としてすべての名義を変更した。
でも離婚したとき、離婚届を出したあとも保険や何かの会員などのDMが届くたびに「あぁこれもまだ変更してなかった。まだ終わっていなかった」という気持ちになり、精神を削りに削って離婚し、やっと新生活を始めようと立ち直りかけた心が何度もえぐられた。
離婚は結婚の何倍もの労力と精神力を要した。
それがあって、今回も冒頭に書いたように「どうせまた離婚したらめちゃくちゃしんどい気持ちで手続きしなきゃいけなくなるし、このままでいっか」という気持ちがふと湧き上がってきてしまうのである。
その度に、なんで離婚前提で考えてるんだよ、と思い直すのだが。
(もちろん離婚予定はない)
私は、仕事上では旧姓を名乗っている。
苗字を変えてしまうと社内の人たちも呼び方に困るだろうし、お客さんにいちいち伝えるのも面倒だなと思ったからだが、一番の理由は自分の世界を保つためである。
昔、母に「どうして専業主婦だったのに途中から働くことにしたの?」と聞いたら「◯◯さんの奥さん、◯◯ちゃんのママ、っていう肩書だけになって、世界に自分が存在しなくなったような気持ちになったから」みたいなことを言っていた。
私の理由もそれと似ている。
前回の結婚のとき、私は簡単なバイトはしていたもののフルタイムではなく、ほぼ専業主婦だったし、バイト先で使う苗字も新姓だった。
とにかく新姓を名乗れることが嬉しかったし、当時は親に対しても思うことがありすぎて、結婚を機に過去の自分を一掃したような感覚だった。でも結果的にそのことが、自我崩壊・相手への依存・精神錯乱・離婚へと繋がっていったのではないかと思っている。
私はある程度自分の世界を持たないとダメな人間なのである。これは離婚からの最大の学びだ。
だから今回は、仕事もするし、名前もそのままにしている。
そしてこれが、かなり良い感じなのである。
誰かの妻である前に、ちゃんとひとりの人間として社会と繋がれている感じがするし、仕事で良いことがあれば、過去の自分も含めて肯定されているように感じる。お客さんに腹立つことを言われた場合は、「あなたが今否定している人間は戸籍上は存在しませーん。本当の私はあなたが知らない名前のかわいいヨッメだもん」と思ってやり過ごすことができる。私はこうして気持ちの部分でも、都合よく名前を使い分けているのである。
今は親に対しても感謝の気持ちでいっぱいで、これまでの自分をなかったことにしたいとも思っていない。妻としての自分も、旧姓だった自分も認めたい。気の持ちようなのかもしれないし、最初から夫婦別姓にする選択肢もあるんだろうけど、私にとっては、現状がちょうど良いバランスなのである。
そんなことを考えながら、何度も何度も担当に催促され、いい加減手をつけないといけない保険名義変更の書類を眺めている。